男の子の成長を願う節句。 ※女の子は桃の節句(上巳の節句)
本来、端午(たんご)とは月の始めの午(うま)の日をいいますが、旧暦5月5日(現在は新暦5月5日)を端午というように変わりました。 古代中国では、この日を薬採りの日としていて、薬草を摘んで野遊びをしました。 菖蒲は、煎じて飲んだりして昔から薬草として使われていたそうです。 男の子の節句とされるまでは、厄病を祓う節句で「菖蒲の節句」とも呼ばれています。
5月は悪月(あくげつ)、物忌みの月とされ、その邪気を祓うために菖蒲を浸した酒を飲んだり、蓬(よもぎ)を軒につるして粽(ちまき)を食べたりしました。
平安時代は宮中の儀式でしたが、江戸時代になって、3月3日の女の子の節句と対応させて、菖蒲が尚武と同じ音であることから男の子の節句になり、江戸幕府の公式行事となりました。
端午の節句 に「鯉のぼり」を立てるようになったのは、江戸時代の中頃といわれています。
「鯉の滝登り」という言葉はご存知ですよね。 中国の黄河の中流に激流が連なった難所があり、そこは「竜門」と呼ばれていました。 下流からいろいろな魚が群れをなしてさかのぼってきますが、鯉だけが滝を登りきって竜になるという故事です。 このことから、鯉は立身出世のシンボルとされました。
普通、縁起がいいとされるものは食べることが多いですが、鯉を食べるのでなく、なぜ「鯉のぼり」として飾ったのでしょうか。 鯉が滝を勢いよく登る様をイメージして「鯉のぼり」としてを飾るようになったとされていますが、男子誕生の喜びを世間に広く知らせるために戸外に立てられるようになったからのようです。 でも、これがどんどん華美に競い合うようになり、屋外に鯉のぼりを飾ることは禁止されました。火事の消火活動の邪魔になるという理由もあったようです。「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉があるように、江戸は火事が多かったようですからね。
端午の節句に柏餅を食べるようになったのは江戸時代から。男の子の節句として祝うようになってからです。柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないため、家系が途絶えないという縁起かつぎからきているようですね。
茅(ちがや)や笹の葉でもち米を蒸したもの。 5月5日に食べるようになったのは、中国の詩人が亡くなったこの日に供物として笹で包んだ米を川に投げ入れたという故事からきています。
風薫る(かぜかおる) 若葉の中を吹き抜けるさわやかな風。漢語の薫風(くんぷう)からきています。